先日、ベトナムのホーチミンで活躍している日本人DJに会いました。
彼にベトナム移住の理由を聞いたら、予想外の回答が返ってきてビックリ!!
偶然の出会い
今回ホーチミンで滞在していたところの近くには、おしゃれなレストランがたくさんありました。
夕方になって「何か食べようかな」と、その周辺をウロウロしていると・・・
オープンテラスでDJをしている人と、バッチリ目が合ったのです。
「良い音楽ですね」という意味合いを込めて、僕はニコッと笑顔をしました。
すると向こうの彼も、いっぱいの笑顔を返してくれたのです。
そして英語で唐突に、こう聞かれました。
「キミは日本人か??」
僕が「イエス」と答えると、彼は急に日本語で話しかけてきたのです。
そう、実は彼も日本人でした!!
ベトナム移住してDJをする理由
「こんなところで日本人に会うとは思わなかった」
「ちょっと一緒に飲もうぜ」
そう言われ、僕はDJをしている彼の横で一緒に飲み始めました。笑
彼は「DJ PIKA2」としてベトナムで活動している、日本人DJさんです。
なぜベトナムでDJをしているのか、気になった僕は色々と聞いてみました。
彼はもともと神戸に住んでおり、そこでDJをやっていたそうです。
そして当時は、東京への進出も目論んでいたそうですが・・・
その一方で、以下のようなことを感じていました。
「東京に行っても、激しい競争に巻き込まれるだけじゃないか」
「友人はPR活動やレコード会社とのやり取りで、消耗している」
「自分としては、純粋に音楽を追及していける場が欲しいな」
そこで彼は東京へ行く代わりに、音楽がまだ未発達だったベトナムへ行ったのです!!
そこでは競争相手が少なかったので、大きく活躍できる場がありました。
また最近の経済成長でお金持ちが増え、そういった人がスポンサーとして付いてくれるようになったのです。
まさに僕が以前に書いた、「オンリーワン戦略」ですね~
参考:人とは違う生き方をしよう!才能がない僕なりの人生戦略論
彼は現在スポンサーに衣食住の面倒を見てもらっており、お金の心配がないとのこと。
そしてただひたすら、自分の音楽をエンジョイすることに没頭しているみたいです。
挑戦が怖くない理由
「しかし、いきなりベトナムに行くというのはとても怖かったのでは??」
僕がそう聞くと、彼はちょっと黙った後にこう言いました。
「実はオレ、難民だったんだ」
数年前から、中東の難民たちが大量にヨーロッパへ渡って問題となっていますが・・・
実は日本も、難民ボートをたくさん受け入れていた時期があります。
それはベトナム戦争が終わった1975年から発生した、「インドシナ難民」です!!
当時、ベトナム・ラオス・カンボジアが社会主義体制になりました。
その体制下で迫害を受ける恐れがあった人々が、次々に船を使って国外に脱出したのです。
日本政府は1978年に、ベトナム難民の定住を認めることを決めました。
そしてこれまでに、1万人以上の難民を受け入れています。
彼は小さな子供のころにベトナム難民として、日本にやってきた1人でした。
ギュウギュウ詰めの小型船の中、恐怖と戦っていたのを今でも鮮明に覚えているそうです。
当時は食べ物がほとんどなく、着ていたのも親の服を破って作ったオムツ1枚だったとか。
日本での保護が決定し、住居として割り当てられたのは古くて狭い県営住宅の一室でした。
しかし屋根がある部屋で寝られるだけで、彼は天国にいるように感じられたそうです!!
「日本は努力さえすれば何でもできるし、何にでもなれる素晴らしい国だよ」
「だから挑戦を怖いと思ったことはないし、むしろそれができる環境に感謝してる」
「ベトナムは自分の生まれ故郷だし、とりあえず行けば何とでもなると思った」
彼はそういうとベトナム語で「乾杯!!」と言って、一気にビールを飲みほしました。
DJ後におっぱい焼肉
DJが終わった後、2人で近くの屋台に行きました。
そしてホーチミンの名物という、「ヤギのおっぱい焼肉」を食べましたよ!!
となりの席にいた、面識のないベトナム人グループを熱唱させるDJ。
彼は本当に、音楽が好きなんだな~と感じました。
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